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まんまーるの軌跡〜まんまーる店主 吉村シズオのあぐー豚へのこだわり〜

沖縄であぐー豚に魅せられた男吉村シズオが、「あぐー豚専門店まんまーる」を開店するまでの軌跡を語ります。

まんまーるイラスト

平凡な

学校を卒業し、金属加工メーカーへ就職。
よくある日常。

10代の頃から食べる事が好きでいろんな処へ脚を運んで
とにかく何でも食べてみたくなるという性格で・・・
何十年経っても忘れられない味が、いくつも心に残っています。

転機

40歳代後半のある日、ふと目に止まった朝刊記事にこんなことが書いてありました。
ある男性が、70代の父親が亡くなる際に
枕元に呼ばれて言われた事が、
「俺は自分の人生に悔いがない。笑って死んでいける。
お前も笑って死ねるようになれよ」だったそうです。

その記事を読んで、胸の奥がズキーンと。
俺はどうなんやろか?
俺は勤め人として働いてきたサラリーマンです。
自分等の子供たちが成長し自ずとこれからの生き方を考えるようになり
はたして俺は笑って死ねるんやろか?やりのこしている事があったような・・・

出会い

43歳、嫁さんの母親の故郷である沖縄今帰仁(なきじん)に
おばぁーのお墓参りへ行く機会があり、
名護市のホテルに泊まり、いろいろ食べ歩きました。

噂では聞いていた「あぐー豚」をまだ食べたことがなかった私は、
早速ケータイで調べてあぐーのお店へ。

私が行ったお店は『満味』という焼肉店で、
やんばる島豚あぐー豚一本で商いをしていました。
心の中で「大阪人は焼肉いうたら『牛』、
いくらアグー豚といっても豚はブタやん」と思いながら
七輪の網で焼かれたミディムレアのあぐーロースを口に入れると、
後頭部を金属バットで殴られたような衝撃が走りました。

「なんやこれ!こんな味の濃い豚食ったことない――」
ひと言で「うまい!!」大感激!!!
どの部位を食べても今までの豚とは違い、
脂身もしつこくなく甘みがありました。

すぐさま店員を呼び止め、あぐーのことを根掘り葉掘り聞く。
なんとコレストロール値も通常の豚の1/4というではないですか。
「これや!!!」という思いが込み上げて来て
これは豚の価値観が変わる!私がそうだったように。

この美味しさを皆にもっと知ってもらいたい!
と、強く思ったことを今でも覚えています。
まったくの無知だからこその思いでした。

決断

その後、日々仕事をしながらもあぐーのことばかり考えていました。
そして誰にも言わずにあぐーに関する事の下調べを始めました。
嫁さんにも誰にも言わずに、です。

沖縄に行っては何種類かのあぐー豚のお店に行って食べてみました。
販売量・供給率・価格も販売元で教えてもらい、取り寄せたアグー豚を
10代や20代の子らにも焼肉・しゃぶしゃぶなどにして食べさせました。

そのなかで「やんばる島豚あぐー」がベストだと確信した私は、
タレやポン酢を試行錯誤しながらどういう味がこのあぐー豚に合うか、
独自の研究も重ね合わせて考える毎日、

想いは募り・・・。
「あぐー豚」と出会って4年後、会社へ退職願いを提出。

なにがなんでもあぐー豚

今後するべきことを洗い出してスケジュールに落とし込みました。
それから分野事業計画・収支計画を練り店舗設計…と眠れない日々が続きました。

流通・販売元・供給率…自分でお店をしたいと思っても、
あぐー豚が手に入らなければ意味がない。
まずは『やんばる島豚あぐー』をどのように仕入れるか、これが一番の問題です。

とはいえ、『あぐー』というキーワードをインターネットで検索すれば数100件ヒットし、
どこが販売元かを調べるのにそれほど時間がかかりませんでした。
つくづく便利な世の中になったものです。

やんばる島豚あぐーの生産は『我那覇畜産』だと判明したのですぐさま電話。
出て頂いたのは 女性の方でした。
大阪であぐーを使ったお店を開きたいと相談してみましたが、即座に無理との返事。

一気に気持ちが落ち込みましたが、なぜ?と理由を聞いたところ
現在(その当)あぐー豚は生産数が少なく、新たな供給は無理との返事でした。
でも、そこで諦める私ではありません!
なんとか販売権を持っている『我那覇ミート』の電話番号を聞きだしたのですが
その女性曰く「絶対に無理ですよ!」と。可能性がほぼゼロの状態となりました・・・
さてどうするか。

電話ではきっと断られる。それなら現地に行けば可能性があるかも知れない!と、
無意識の内に沖縄への航空券を購入していました。
そう、現地での折衝にかけたのです。
1%でも可能性があるならば!

我那覇ミートの電話番号から住所を調べ、名護の片田舎へレンタカーを走らせます。
運転中もあらゆる状況を考え戦略を練りました。

広大な敷地の一角に我那覇ミートの事務所があり、
その横には一般開放されている食堂が(改築前の当時)ありました。
敵を知るためには…と、まずは食堂で腹ごしらえ。
昼時ということもあり食堂の中は満員でした。

なぜなぜ分析を自問自答し、客の動線や厨房の動きなどをチェックしていると
テキパキと指示している男性が目に入ります。
もしかするとこの人がこの店の要では?と思い、タイミングを見計らって声をかけました。
その方はオーナーの息子でした。

私の夢や、やりたいこと、あぐーを大阪で広めたいことをプレゼンすると
「いいですよ!全面協力しますよ」との一発返事。
こんな簡単な返事でイイの?あれだけ手に入らないと言われていたのに。
後に、何故OKしたのか理由をお聞きしました。
「ありがたい」のひと言です。

これで一歩前に進むことができました。
私に出来る事は前に進んでいくだけ。思いがあれば結果は必ずついてくる!

本場沖縄での想いと学び

あぐーの仕入れ先も店の方向性も決定。
しかし、私にあるのは(やる気)だけ。
こだわっているのは「本場の一流の味」。

学びたい! 早速沖縄へ飛ぶことに。

原点である『満味』さんへ赴き、奥様に修行したい趣旨を伝えると、
「現在オーナーは 名護漁港~宮古島までサバニ(琉球諸島で古くから使われている漁船)に
乗って旅をしているので、1週間ほど帰ってきません」とのこと。

私には時間がなかったので無理を言ってオーナーと連絡を取ってもらいました。
奥様からオーナーに自分の主旨を伝えてもらい、それなら テストを行いますとの事。
それは『あぐーへの思いや計画性』を作文で書いてくるというものでした。

直ぐにホテルに戻りフロントで用紙を調達。
あぐーとの衝撃的な出会いから、それに動かされた自分の行動、
そして大阪で『まんまーる』というお店を開店し、
あぐーの美味しさを伝えていきたいという意気込みや自分の思いを作文にしました。

1週間後、社長である満名匠吾氏に読んでいただき、一瞬の沈黙がありましたが無事合格。
「満味特別アグー研修」の名の元に本場で30日間の修行を受けることが出来ました。
匠吾さん、妙子さん、憂一さん、俊也さん、みどりさんや皆さんのおかげです。

感謝

『あぐー専門店 まんまーる』は 2009年12月に開店しました。

塩野商店さんや伊藤銘木さん、倖生工業の陶山社長さんをはじめ
いろんな方々の協力を得てこの店を立ち上げる事が出来た事を心から感謝します。
まだまだ認知されていない点も多くありますが、 まんまーるファン、
あぐーファンの皆さまに支えられ、あぐーの美味しさを大阪・松原で伝道しております。

決してあきらめない姿勢が 私のオリジナル創作料理に表現されていますので、
是非一度、ご賞味ください。
後悔はさせません! お気軽にご来店くださいませ。